音楽を通して感じたこと

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  私は小さい時からピアノをやっていたり、小学校の部活ではブラスバンドでトランペットを演奏したりしていて音楽を演奏することが好きでした。中学受験をして入った中学校は、たまたまキリスト教の学校で、そこからキリスト教というものに出会って礼拝する習慣がついていきました。最初は礼拝が毎朝あることにとても驚きましたし、聖書の開き方すら分からなかったですが、行っていた中高は付属の小学校があったので、その子たちが率先して優しく教えてくれたおかげで少しずつ慣れることができたと思います。

音楽が好きな私にとって、讃美歌を毎日パイプオルガンと共に歌うことができる時間はとても楽しく、みんなで毎朝の礼拝を守ることができるということは幸せなことだなあと次第におもうようになり、中学三年生の時に学校で習うことができる、パイプオルガンのレッスンを受講することに決めました。いつも礼拝の時はパイプオルガンの演奏があるのが当たり前だと思っていた私にとって、実際に演奏してみると想像よりも難しく、改めて毎日の礼拝でのパイプオルガンの重要さに気づきました。ちなみにパイプオルガンはピアノと似ていますが、足でも演奏しなくてはならなかったり、ピアノのように音を繋げて弾くのではなく、少し一音一音を切って弾くので、弾けるようになるまで苦労しました。

 高校二年生になると次第に学校説明会や礼拝の奏楽もするようになりました。特に讃美歌の奏楽をしていると、歌っている人たちとの一体感をとても感じることができ、また神様とみんなで共に向き合っていると感じることもできます。また、中高ではオーケストラもやっていて、クリスマス礼拝でハレルヤの奏楽をした時も同じような感情になりました。もちろん聖書の言葉やお話を通して神様と向き合うことも好きですが、私はこのように音楽を通してみんなが一体となって神様に向き合う瞬間も好きです。

 (2024年コイノニア証詞号より)

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