神様からの贈り物

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地球社会共生学部2年生の証です

 私は大学1年生の頃、大学生活の中で同じクリスチャンのみんなが神様と共に生きる姿に
刺激を受けることが多くあります。それは今も変わりません。しかし当時は、全てを神様に捧
げきれていない自分と比較して、次第にその罪悪感から逃げるように、神様とも離れていっ
てしまう自分がいました。それに加えて、私は参加必須のサークルに入っていたこともあっ
て、時間的な余裕がなくなり、全てにおいて負担と感じるようになっていました。毎週日曜日
の礼拝も出席はするものの、心ここに在らずの状態で、教会から帰ってきたらすぐにバイトに
向かって、課題をやってと、一週間の中で休みが 1 日もない状態が続きました。この生活を
4 年間続けていく想像もできず、自信もありませんでした。何かを変えなければならないと分
かっていながら、それでも、サークルを通して新しく出会った仲間に囲まれて、素敵な時間を
過ごしていた私にとっては、すぐにサークルを辞めるという決断には至りませんでした。その
時の気持ちを、誰かに相談したら、引き止められるかもしれない。あるいは、辞めた方が良い
ときっぱり断言されるかもしれない。自分の中では、それも何か違うと感じるものがありまし
た。祈って、でも自分が悩んだ時だけ神様を求める自分の信仰にも呆れて、それでもやはり
祈ることしかできませんでした。

 しかし、いくら私が離れても決して見離さず、必要なものを用意してくださるのが神様です。
私は、教会で開催されたクリスマスコンサートに参加したことで、神様が私に示してくれてい
る道を見つけることとなりました。演奏を聴いた時、心が神様の愛で満たされて、言葉にでき
ないくらいの幸せを感じました。それは、この世的な幸せではなく、神様に私の迷いの全てを
包まれているような感覚でした。その時、サークルを続けることは神様が私に示してくれた道
ではないとか、もはやそのような感情にもならず、心の中にあった迷いの全てが消え去った
感覚になりました。そしてその時、サークルを辞めるということが私の人生の中でそこまで重
い決断ではないのではないか感じ、辞めるという決断をその時に下しました。そして迎えた春
休み、ACF の春合宿に参加することとなりました。ACF の活動にしっかりと参加したのはこ
の時が初めてだったと思います。そしてこの合宿は、間違いなく私の人生の転換点になりま
した。みんなと一緒に賛美した時、私は初めて讃美をしながら自分の罪の重さで涙を流すと
いう経験をしました。どれだけヒビだらけの私でも、そのヒビからあなたの愛が溢れ流れる。
こんな私でさえも神様はそのままで愛してくださる。そう実感しました。

誰にも頼らず、一人で生きられる人はいません。「自立する」とは、誰かのお世話にならな
ければ生きられないことに気づき、感謝できるようになること。誰かに支えられながら、他の
誰かを支えられるようになることです。時には比較して、他人といることに息苦しさを覚えるこ
とがあるかもしれません。しかし、この出会いは確かに神様から与えられたものであり、相手
にとっても、自分自身にとっても必要な相手であるということをおぼえると、神様が与えてくれ
たその一つ一つの出会いに、感謝せずにはいられなくなります。青学での大学生活、地球社
会共生学部での生活、ACF での生活の全てが私に必要なものであると、強く感じる毎日で
す。

                      (2024年度コイノニア証詞号より)

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