善い管理者として、愛に生きる

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総合文化政策学部2年生の証です。

「善い管理者として、愛に生きる。」 これだけ聞くと何のことだろうと思う人がいるかもしれ
ません。これは私が今年度から常に心に留めて目標としていることです。では何に対する
「善い管理者」なのか。それは神様に与えられた賜物、つまりプレゼントに対してです。
私は高校 2 年生の時に神様を信じますと告白してクリスチャンとして歩みはじめ、まもなく 3
年が経ちます。思い返してみると、大学に入学するまではこれといった大きな試練も無く、む
しろ神様に祈って感謝した分、恵みが与えられていたように感じます。しかし、大学に入学し
てみると、何もかもが上手くいきませんでした。抽選の講義は全て落選、入学前から受講し
たいと考えていたゼミもラボも落選、当初入部を希望していたサークルにも入ることができま
せんでした。思い描いていた大学生活とはかけ離れたもので、目まぐるしくただただ時間が
経過していくような生活が続きました。
そんな中で私に与えられた居場所、それが ACF です。上京するまでは同年代のクリスチャ
ンと交流もなく、家族にも友人にもクリスチャンがほとんどいなかった私に与えられた恵みは
十分すぎるものでした。信仰生活も日常生活も学業のことも、何でも相談出来る「信仰の友」
に出会うことができました。
しかし、私はそのような中で新たな壁に直面します。それは周りの友人や先輩には神様か
ら与えられた「賜物」があることに対して、私は空っぽだということでした。奉仕がしたいと思
いながらも、自分自身の賜物が何なのか全く分かりませんでした。私には神様から十分すぎ
るほどに与えられている恵みがあるのに何も返すことができない。そんな悩みを抱えていた
ころ、教会でクリスマス礼拝のチラシを作らないかと声をかけられ、思い切って引き受けまし
た。ここで私はチラシという形を通して、神様について伝道することの素晴らしさに気付かさ
れました。
今まで「伝道」とは無縁だった私ですが、自分自身とそして神様と向き合い、今年度はこの
ACF で広報として奉仕をしています。広報の魅力は、ACF 内に留まらず、伝道ができること
です。様々な奉仕に関わる中で、賜物を生かして神様に仕えることがどれだけ難しいことか
を痛感する毎日です。ですが何よりも神様に導かれた場所で、隣人に仕え、名前の通り愛に
生きることこそ今の私にできる神様への最大限の恩返しなのだと思います。
「あなたがたは、それぞれ賜物を授かっているのですから、
神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を用いて互いに仕えなさい。」

ペトロの手紙 I 4:10

(2024年度コイノニア証詞号より)

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