総合文化政策学部3年生の証です。
私は、大学に入る前と入ってからで、性格(物の考え方や捉え方)が大きく変わりました。ど
う変わったかと言うと、高校までの私は超心配性でした。ですが、大学で ACF に入ってから
は、「きっとなんとかなる!」と思えるようになりました。私がどうしてこんなふうに変わったの
かをお話したいと思います。
先ほど書いたように、私は高校生の頃まで、とても心配症でした。自分の発言やふるまいで
周りからどう思われるか過度に心配したり、学校のテストなどで良い成績をとれなかったら失
望されるかもしれない、と不安になって全然寝ずに勉強したりと、とにかくなんでも心配してし
まうことが当たり前でした。私は高校在学中に洗礼を受け、これは私の人生でも大きなター
ニングポイントでしたが、その当時はまだ自分の性格に大きな変化はありませんでした。
そんな学校生活を過ごして、大学に入学し、ACF に出会いました。私は ACF で初めてこん
なに多くの同年代の信仰の仲間と出会い、ここまで深く聖書の学びをしたり祈りあったりする
のも初めてでした。
ACF での活動を通して何度も繰り返し確認していることは、「神様は私たちを愛しておられ
て、特別に貴いものとして下さっている」ということです。なんどもその言葉をうけとり、しだい
にそれが自分の中に根付くひとつの保証、土台になって行きました。私のものの捉え方が変
わったのは、これが理由だと思っています。
イエス様は、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。と言っ
ておられます。また、なによりもまず、神の国と神の義とを求めなさいと言っています。わたし
は高校生の頃まで、周りの評価など、この世的な、外面的なものばかりを気にして生きてい
ました。しかし、神様はそんな外面的なものはどうでもよく、必要なものは全て神様が備えて
くださるのだから、あなたはあなたのまま、自分らしくいなさい、と語りかけてくれているように
感じました。かつての心配症だった私は、外側のことばかりを気にして本当に目を向けるべ
き事に目を向けることが出来ていませんでした。しかし神様の「あなたを愛している」という言
葉を何度も受け取り、何度も助けられ、あなたは愛された存在なのだから、余計なことは心
配せずにただ神様を信頼して安心して歩めば良いといわれているように感じました。神様の
そのメッセージに気づいた時初めて、ありのままの自分でいる事が 1 番キラキラと輝いて居
られるのだということを知りました。ありのままの自分を受け入れることは、その分自分の足
りないところにも沢山気付かされます。でも、その時に自分を嫌うのではなく、欠けだらけの
私でも、神様は必要なものを全て備えてくださっているということを確信することが出来るよう
になりました。不安になることや辛いことはこれからも沢山あると思います。でも、私は神様
に愛されていて、私のままで輝いている ということを知った今、困難なことも神様を信頼し
て、委ねて、歩んでいきたいなと思います。
(2024年コイノニア証詞号より)